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育を受けたらよいと思う」と言われました。
私たちは、息子の富山ろう学校への通学や将来のことを考え、ただただ泣くだけの毎日でした。昭和三十年七月、二男を誕生、健聴児だったので嬉しくほっとしました。昭和三十二年五月、祖母が病気で六十一歳で他界しました。私達は祖母を頼りにしていたので、「障害の長男と二歳の二男をどうして育てようか」と思案にくれていました。
三十二年四月、小学校への入学期を迎え、富山市のろう学校に入れてもらうことになりました。三十五キロほどあるので電車通学もままならず、寄宿舎に入れることになりました。
さて当日、入学式を終えて子供は寮の保母さんにお願いして帰る時間になりました。友だちと遊んでおり、別れを言って帰ると子供がついてくると思い隠れて見ていました。そのうち親のいないのを知った義明が泣き出し、火のついたように泣きました。私はその泣き声を聞きながら断腸の思いで帰りました。今思い出しても辛いことでした。
一年生と二年生のときは寄宿舎生活をして、三年生からは家から電車を乗り継いで通学。中学、高校と進み四十四年高校を卒業することができました。
就職は高校で木工科を選考していたこともあって、市内の木工建具の会社に就職、勤続二十五年になり現在に至っています。
最近の社会状況で、若い人の後継者が不足していることもあって、社長からも重宝がられているようで、ひとまず安心しております。
手話サークルで知り合った富山ろう学校卒の里美さんと五十八年十月、結婚しました。現在

 

 

 

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